武道で礼節なんて身につかないという話

毎日日記

心残り

休日に入ってまずしようと思ったのは運動だ、一日の最後に運動して疲れて動けなくなるなんてのが理想なのだけど、現実的にそんなことはできない。

いくら健康診断の結果が自分のミスによる誤診断だと分かっていても、出てきた結果が本当に間違えたものなのかという懸念が出てくると怖くなる、なまじ糖尿病の知識なんてものもあれば、ありえないありえないと断言できないものだと分かっているからでこそ、やっぱり頭の片隅では怖くなる。

そんなわけで運動を積極的にやっていこうと思った。

幸いなことに尿糖として出てきていないので、仮にアウトラインにいるとしてもまだまだ軽症の部類で、まだ引き返せる段階なのだろうなと思うので休日に運動をしようと相成った。運動と言っても自転車だが、目的もなく自転車を走らせるのは面白くないと思った。

そうしてどこ行こうかなと思ったとき、つい最近空手の事を振り返っていたよなあと思って、空手をやっていた道場へと向かった。

自分には才能があったんだろうなと思う事の一つ

ここで2年近く空手をやっていた、いま思えば才能があったんだと思う、うぬぼれでもなく、組手は全くだったが型なら十年近くやっていた人たちと張り合えていた、、中学高校合同な大会でも型なら毎回入賞していたくらいで。

もちろん組手は毎回一回戦負けですが何か。小学生にも負けてたが?

ここで空手の練習を隔日でやっていた、週3くらいで。そして有志だけが参加する裏の練習がその間の日にやっていたので週5やっていたことになる。裏の練習の方がは結構ガチなので、そこに参加する人は成績上位な人間ばかりだった。ちなみに私を含めて3人しかいなかったが、大会入賞が基本な3人でもあった。

自慢だよ?

武道で精神は強くならない

空手を思い出すきっかけになった、それはプロゲーマーは道徳的なことを学ぶ場面がないからやらかす、武道みたいに精神を鍛える場が求められるみたいな、そんなツイートだったか切り抜きだったか。

武道をたしなめば精神的に成長できるといううたい文句というかワードを思い出したのだが、正直自分はだと思っている。だって人を殴る、投げる、蹴る、打つ、なのに一体どこに尊重の意思だの礼節だのを学ぶんだと。

自分には礼儀だの礼節だのを考えるだけのきっかけがあった、だからある程度

中学生の頃に空手をやっていたのだが、一度同じ道場の高校生から組手で技ありを取ったことがある、それはもう嬉しかった、すると相手の高校生はぶちぎれて私に前蹴りをかまして戦闘不能にされたことがある、その人は組手が強い人で、道場にも結構長いこといた人だった、断言していい、精神なんてその本人に考える場でも与えられない限り成長しないんだと。

それに私の心が空手から離れた経緯がある、それは県大会のとき、組手は当然の様に一回戦で負けたが、型なら負けねえ、俺も全国いくわという気持ちでやった、決勝まで残って、決勝は勝ちあがった人達で一人ずつ型をして結果を最後に発表という形だった。

同じ道場の人が3人と他の道場の人が数人残っていたと思う、一人は俺よりうまいなあと思うような人、一人はこいつと俺が同じくらいかなという人、そして最後はこの人よりはうまい自信あるわ絶対って人の三人。

そしてこの3人は家族であり、審判もその身内

私の結果は4位に終わった、3位までなら全国大会出場できた大会でこれである。これ結構問題にもなったけど、結局うやむやにされた事件でもある。

な?礼儀だの礼節だのあるわけねえだろ?審判がこれなんだから。

まあそのあとは自分のやる気もなくなって、そこから暫く勉強漬けな日になっていった。ここから先は別の日にでも。

でも

空手の経験は間違いなく私の糧になっている、メンタルがジュラルミンでできていると言われたことがあるが、この経験は間違いなく影響しているし、一般人より集中力が高いという点でも空手が一役買ったんじゃないだろうか。

気になったら何でもやってみるものなんだなと思うのはこういう経験があるんじゃないかとも思ってる、囲碁とかバドミントンとかもやってたし、街の卓球に通ってたこともあった、割と興味があったら飛びつくことができるのは、親のおかげでもあるんだろうなと。

だから配信もしてるしブログもしてる、でもまあ中途半端だなとは思ってる。

少しずつ進展させてこ。

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