私は本来、大学に通っている間バイトをしなくても良い状況にあった。
様々なことが重なり、幸運にも大学に通うだけのお金があったからでもある。
在学中はバイトをせず、勉強に力を入れていければそれでよかったのだが、ある出来事がきっかけで私はバイトせざるを得なくなった。
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バイトをしなければいけなくなった原因は、薬学部の実習期間中に起こった。
薬学生は大学の5年時に病院と薬局で、それぞれ3か月近い実地研修を受けることとなっている、その病院実習初日の話である。
その日わたしは病院実習先へと向かうため、いつも大学へと通学するように原付に乗って駅まで向かっていた。
家から最も近い病院は、その時期にいろいろと大変なことが起こってしまい人手が全く足りず、受け入れを突然解除されたのである。
その結果、実習先として決まった病院は大学の通学途中にあった。
だから私はいつも大学に向かうような感覚で、実習先に向かおうとしていた。
ただ病院実習初日ということもあり、前準備にいろいろと調べたが不安な事で頭の中はいっぱいだった。
この時既に終わっていた薬局実習先で聞いた話では、実習先でもう来なくていいと言われる人というのも極稀にいると聞いたからだ。
もし自分が言われたらどうしようかなどと考えるくらいで、その当時は、今では考えられないほどネガティブでもあった。
どうしたら平穏無事に何事もなく終われるだろうかなどと考えていたくらいである。
実習初日に髪を銀に染めたりしたほか大学のあれな人の話であり、ほとんど一般的な薬学生には無関係な話でもあった。
普段わたしはできる限り国道を通らないことにしている、私の住む県では国道で原付が良く煽られるので、国道では危険なことが多い。
原付というだけで普通に端っこを走っていても何故か煽られる、やたらと敵視されることが多い。
しかし力の差は歴然、たとえ対抗しようともちょっと触れただけで弾き飛ばされるのは目に見えているので悔しくも引き下がるしかない。
そうしていつものように国道から少し離れた田舎道を通っていた。
横から飛び出す黒いレクサー。
普段全く車が通らないことや、畑に立ってた木のせい、そして自分が考え事をしていたことなどもあり車がみえなかった。
そのまま数メートル跳ねられることになる。
この時は少し跳ねられたなくらいにしか思っていなかったが、後日現場を見てみると思った以上に跳ねられて驚いた記憶がある。
意識は普通にあり『早く実習先の病院行かなきゃなあ』なんて思っていた。
流石に無理だった。
そもそも身体が動かなかったのだ、自分は大きなけがや病気というものをしたことがなかったのでその状況が良く理解できてなかった。
いや、自分の身体の限界というものを知らなかったのかもしれない。頭と身体がズレている感覚とでもいうのだろうか。
動けないままいると、跳ねた人が車から降りてくる音が聞こえるが、痛みに顔をしかめていて目が開けられなかった。
「やっぱ急ぐと駄目ねえ」とか「あー、やってしまった、すぐに救急車呼ばなきゃな」なんて声も聞こえてきた。
そしてそのまま私を跳ねた人が救急車を呼んでくれ、私は実家から一番近い病院へと運ばれる。
もちろん実習先ではない、しかも最初に実習先に指定されていた病院である。
救急車に付き添いで乗ったことはあったが、患者として乗るのは初めてだよなあとか思いながら、受け入れを断られた病院に患者として運ばれるのってどう言うこったなんて思いながら。
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医師の診断結果では骨折といった重傷を負うことはなかった、首にむち打ち、そして尻を強く打ったというだけで済んだようだ。
実に運が良かったと思う。
実は跳ねられたとき、すぐそばに少し大きめの側溝があったので、そこに落ちていたら恐らくただでは済まなかったということも。
但しこの時起こったむち打ちは、今でさえ少し残っている。完全に治ることはなかった。
診断結果が思った以上に軽傷で安心していた、これなら私はすぐにでも実習先に向かえるななんて考えていたくらいだ。
恐らく車に跳ねられた衝撃で頭がまともに働いていなかったのだろう。
だがそれでも車に数メートル吹っ飛ばされていたのだ。
頭はヘルメットをかぶっていたので守られていたそのヘルメットが割れていたなんてことになれば、
流石の流石に検査入院ということになった。
私の頭の中にあったのは病院実習の事だった。これで中止になったりしないだろうか、これで留年したりしないだろうかと。
ああ、これがMRIかなんて、勉強した知識を自分でもろに体験する気持ちは何といえばいいのやら……
そして一通りの検査を終える、その時点でもそこまで問題はないだろうと言われ、つくづく運が良かったななんて思いながら。
病棟に運ばれ、私は痛み止めをもらって動けるようになるとすぐさま病院へと電話をかけた。
時計を見てもまだ実習が始まっていない時間だった。
電話口のコール音が長かった、えらく長かった。朝も朝の早朝で人が少ない時間だったのだろう。
「はい、こちら〇〇病院です」
「あの、すみません、今日から薬剤部で実習予定だった家風というのですが、今日ちょっと車に跳ねられてしまいまして、検査入院ということで今日は行けそうにありません」
「はい」
電話口の相手は声が上ずっていた、受付のお姉さんとしても、実習初日に事故を起こした実習生など前代未聞だったのだろう。
ましてや跳ねられる側で。
「あ、はい、わかりました、いま薬剤部のほうに人がいないようで、後程薬剤部のほうにお伝えしておきます、お大事に」
冷静さを取り戻したのか、喋り方が礼節のあるものに戻っていた。朝一のサプライズを申し訳ないと思いつつも。
「どうか、よろしくお願いします」
そう言って私は電話を切り、私は病院実習初日から病院で入院することになった。
結果だけを書くと検査入院は3日で終わる。むち打ち以外は全て元通りに戻った。
そしてむち打ちの治療は、病院のすぐ近くにあるという整骨院で見てもらうということで退院した。
以後、病院実習が終わると整骨院に行って電気治療を受けるという生活になった。
そしてこのむち打ちは、完治することもまたなかった。
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そしてなんやかんやあって、その年に病院実習は何とか終えた。
とても無事とは言えない悲惨な実習になってしまったのだが、これはまた別の記事で書こうと思っている。
一つだけどれだけ大変な目に合ったかを言うなら、3か月ほぼ毎日激しい頭痛に襲われていた。
だがそれでも実習自体を終わらせることはできた。
つまりバイトせざるを得なくなった理由は、実習でうまくいかなかったわけではない。
その年急に始まった進級試験に対し、むち打ちでまともに勉強できなかったからである。
冬になるにつれ、首の痛みが再発するようになったのだ。ひどいときなど寝るのに薬がないと駄目だったりもした。
本当に怖いのは骨折なんかより、むち打ちだったのだとこの時初めて理解した。
今では日常生活を送るのに困るほどではないが、それでも首から頭にかけて頭痛がすることがある。
進級試験は実習が終わってすぐにあった告知だった、今までやっていなかった進級試験をその年に急に始めたのである。
ちなみにこの試験は非難囂々で、次の年にはなくなった
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留年して次の年、私は進級試験以外の単位は全て習得していた。
試験自体がなくなっていたので、私はその年自動で、何もしなくても6年に上がるということになっていた。
(だったらあの進級試験なんだったんだよ)
なんてことも思っていたが、勉強不足な自分も悪いと自戒することにした。
大学の教授に単位の事や実習期間の事情を話すと、その年の講義および実務実習関連の講義も全て受けなくていいという措置を取ってくれた。
そうすると1年もの間時間が空いてしまう、もちろん勉強はするが、それ以上に問題だったのはお金のことだった。
学費が安くなる措置もあったが、事故を起こしたときこちらもスピードを出していたことや自賠責が切れていたことなどにより治療費を負担する割合も大きくなったり
何かとお金が出ていくことも多かったために、お金に余裕がなくなっていた。
無理して大学に通わせてもらっていた身。
バイトするしかねえな!
これがすべての始まりである。
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