自分がどんな人間かよく考えた

誰かのためにしか頑張れない欲望に忠実な人間

私は昔から誰かの為にばかりが行動原理なところがあった。

中学の頃は両親を喜ばせたい一心で勉強をしていたし、大学の教授なんかは私に

「家風は、彼女でもできたら一瞬で国試合格できるだろうな」

なんて言われたくらいである、うるせえ余計なお世話じゃい。

現在国試に対してモチベーションが上がらないのは、この成果が自分のためだけにしか還元されないものだからではないだろうかと思っている。

私は私だけが不幸になるのであれば割と許容してしまうタイプの人間なので、受からなかったと言っても苦しむの自分だったらまあ自業自得じゃんねと変に納得して受け入れてしまうだろう自分も容易に想像できる。

これが例えばだが、私が国試に合格できないと親友が死んでしまうとかなったら、おそらくすべてをかなぐり捨てて勉強に打ち込んで、私が死ぬか国試に合格できるかのどっちか二択になるだろうと思う。

だが現実的にそんなことは起こらず、親友は今日も奥さんと幸せにゲームをやっている。

そして私は自分の欲望に忠実すぎるところもあり、やらなければいけないこととやらなくてもいいことの優先順位が入れ替わることも多々ある。

だから考えた、私は配信を減らすのではなく、勉強を頑張ったご褒美として配信をするという認識で行こうと。

配信を減らしたら恐らくそれはそれで変な影響が出るだろうなと思ったのだ、だからそれ以外の全てを捨てる発想で行く。

人の配信を見ることも極力減らす、iPadには勉強道具以外を目に入らない場所に追いやる、youtubeは開かない。

その全てを勉強にする代わりに、配信をするのだという認識。

配信は、ご褒美であるという発想で行こうと思う。

それに、外国人のリスナーが配信を見せてくれてありがとうとよく言ってくれる、他のリスナーも言ってくれる人が結構いたりするのだ。

おれはお前たちの為に、勉強を頑張るよ、そういう考えが出来そうなくらい、この言葉を嬉しいとも思った自分がいた。

win winな関係を結べて少し気恥ずかしさを覚えているくらいでもある。

今日はこのくらいで終わろうと思う、ここで夜更かしをしては本末転倒だから。

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